Spare Times

暇な時に書きます

「出会い」を構築する手段と不可視のカルチャーを巡る問い

書店について考えたこと。キュレーションによって「出会うきっかけを構築する」新しい書店はとても文学的で魅力的な一方で、オールドタイプの大型書店の保持する、ある種、博物館(倉庫)的な機能や量によって担保される安心感には凄まじい魅力がある。

 

それは特に里帰りした時に痛感すること。新たな読者を得るための「出会い」の提供には大きな価値があるけれども、既存の読者を離さないためにはやはり“わざとらしく”区分けされ、且つスペースが確保された書店で出会う「無意識の出会い」も大切になる。これは書店のサバイブの話ではなく、機能の話。

 

大型書店が「出会い」に対して胡座をかいているとは全く思わなくて、むしろパラダイムが変わり続けて行く中で、その動向を注視して動いている(すべてではないにしろ)。リアルな場としてのコミュニティを持っている。ブックフェアできちんとキュレーションをしている。

 

なので大型書店のなかに小規模のキュレーション型書店的な機能を組み込むのが理想的なんですが、たとえば蔦屋書店がやっていることがそれに該当するかといえばまた違う。ライフスタイルと本の融合はマーケ的にはある意味正しいけど、分断が必要。それは書店が提供するのではなく、読者が判断すること。

 

ライフスタイルの押し売りみたいなのはあまり好きではないし、組み込むのも好きではない。それはカルチャーではなくて、カルチャーを押し売りしているように見える。カルチャーはそれぞれ個別に分けられていて、それぞれの個人が能動的に獲得するもの(であって欲しい)。カルチャーに疎い人間の発言なので、悪しからず。

 

カルチャーに疎い人間が安易にカルチャーという言葉を使うべきではないし、カルチャー誌などとも分断されて生きている自分としてはカルチャーという曖昧模糊で悠然自得で不可視である一方、大きなパワーを持った概念がどんなものか分からないのですが、個々人に「カルチャー」は確かにある。そのことを考えていきたい。