Spare Times

暇な時に書きます

「若手ブランド」は成功の夢を見るか

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最近TwitterFacebookをみていると、若い人たち(まあU30としておく)の自己語りが非常に目立つなという印象を持っていて、そのことについて少し考えていました。そこにはもちろん、自分含まれてしまうわけですが。目立っている多くの人々は、自身の思考や仕事論みたいなものを、140字という枠をこえて語り続けるわけです。読んでいて理解できるものが多くある一方で、明らかに意味のない独善的なものが多すぎる。たぶん100倍くらい。

おしなべて、能力のない人たちが後者を垂れ流している。その人たちは自分の思考や仕事論を書くわけですが(もちろん言語化するのは非常に大事という前提はある)、もし「あたなには結局、どんなバリューがあるのか」と問うた時、ある人は「若さ」(=使い捨て)と言うだろうし、ある人は「見た目」(=能力がないことを隠すヴェール)と言うでしょう。また、ある人は「実績」(=見せかけのもの。たまたま受けただけで継続ではない案件など)しか言えないのではないだろうかと思ったりする。

それらって、全部消耗品で、一過性ですよ? つまり「若手ブランド」があるうちは機能するけど、いざ中堅になってしまうとその働きを失ってしまうものばかりです。

「若手ブランド」って「新卒ブランド」の次くらいに強いものだと思っているので、確かに効力はあるんだけど、新卒ブランドと同じく賞味期限があります。

消費期限と賞味期限:農林水産省



本当の意味での実績がある人は別として、そうした「若手」が述べる自己陶酔的な持論ほど中身がスカスカなものはなくて、陳腐な自己啓発書(自己啓発書嫌い)レベルの“なにも得られないもの”であるなと思うのです。



おそらくどこかで迷っているから、自己肯定のために垂れ流しているのだとは思うんだけど、結局そういう人たちはすぐに消えていくんだよね。別に会社員でもフリーランスでも一緒。そうして、消えていくべくして消えていく人を、まったくフックアップする気にはならない。でも彼・彼女たちにとっては今が楽しければ良いのかなと思うので、今を精一杯生きて、来世で幸せになって欲しい。

あるいは、今が楽しくないから自己肯定感を必死に高めている。何かに迷っているから自己肯定をするという人は、まず自己肯定感を捨てれば楽になれるのにねと思うのです。だって、いつまでたってもその能力と存在は肯定されることはないから。「若手ブランド」を失った後に、あなたに残るのはなんでしょう。空ろな人間に成り果てるだけでは? 

自分ももちろん含まれますが(自戒)、自分語りをえんえんとする能力のない人をどうしても受け入れられない。能力のない人がえんえんと語っている間に、能力のある人は粛々と仕事をしているのを知っているから、せめて静かにしてくれよ(2度目の自戒)。

「若手ブランド」がなくなった若手が、どうなっていくのかは、見ものだ。