Spare Times

暇な時に書きます

書評のボツ原稿を供養する②

あるところに勤勉な学生がいた。学生は卒業の目安とされている4年間では満足いかず、6年間の学生生活を心ゆくまで楽しんだ末、晴れて社会人になるという蝉のような人生を送っていた。勤勉な学生の持つ勉学以外の思い出は、複数のサークルをすぐに辞めたこと、複数のアルバイトをすぐに辞めたこと(シフトを出していないだけなので籍はある)、飲み会で自分の吐瀉物に何度もまみれたこと、友人の悪口をSNSで投稿していたのがばれてブロックされ、その子が所属するゼミの面々から「お前は死ね、本当に死ね」と言われたことなど、大学生なら誰でも経験するようなことばかりであった。

 

ゆえに、もちろん彼は大学生活に後悔の念など微塵も持ち合わせていなかったので、ある日、部屋の書棚に積んであった『大学1年生の歩き方』を何の気なしに手に取って読み始める。……おかしい。ひとつひとつ、ページをめくるに連れて、手は震え、瞳孔は開き、アイデンティティはクライシス。おまけに動悸がするし眩暈もする。彼は気付いた。初めから、全て間違っていたことに……。

 

私たちは自身の過去を振り返る時、ターニングポイントとなる時期を都合良く決めてしまうきらいがあるが、果たしてそれは本当に正しいのかという哲学的問いに本書は回答を与えてくれる。そう、大学時代に重要なのは、入学してからの1年間をどのように過ごすかだ。勤勉な学生は完全に間違えていた。だから言わせてください。「新入生よ新入生、このマニュアルをすぐに買いなさい。されば汝は救われん」

 

と、はるか東の島国で一匹の蝉が身悶えつつ自身の過去を回想しながら懺悔していた頃より遡ること数年、アメリカに住む一人の偉大な作家も自身の過去に起きた出来事に思いを馳せていた。作家は名をポール・オースターと言い、自身の肉体を巡る回想録『冬の日誌』、精神を巡る回想録『内面からの報告書』という2つのノンフィクション作品を連続で発表していた。自伝的作品という形式で、自身(語り手)について「君」という二人称が用いられることは珍しい。年老いたオースターが、「かつての自分」を「現在の自分」とは別の存在として切り離し、推して量ることの難しい様々な感情をもって「他者」として捉えることで、私たちこの一連の作品の読者も、彼と同じ目線で「君」を追体験することを可能とするのが本作の特徴であり機能である。

 

この文を書き終えたところで、以前Twitterで呟いていた「音楽のレビューで『◯◯の系譜、◯◯に影響を受けた』みたいな形容は聞き飽きたので『小学校の時、好きな子のリコーダーを舐めた時に誤って出てしまったあの微かな音のように恥ずかしいけれど興奮してしまうメロディ』みたいなエモさくれ」という発言は即刻削除した。やはり僕にとって、ほとんどの過去は黒歴史だ。そっと閉まっておこう。