Spare Times

暇な時に書きます

書評のボツ原稿を載せます

 「烏丸おいけ」というペンネームは、京都の中京区にある「烏丸御池」という駅の名前をそのまま頂戴したもので、駅の周辺には、今はなくなってしまった新風館京都国際マンガミュージアム、あとは食べログで検索しても出てこないけれどほんとうに美味しいこぢんまりとした定食屋さんがたくさんあった。上京して何年も経つけれど、この土地には毎年足を運んで定食屋で飯を食う。烏丸御池は僕にとって、どこよりも特別な場所になった。

 

 歴史や文化の蓄積によって生まれる類型化できない固有の価値、それを体現している特別な場所にいる守護霊のことを「ゲニウス・ロキ(土地の精霊)」と呼ぶ。ある場所を強く意識するようになるのは、何かがトリガーになって、その土地の精霊と出会う瞬間なのかもしれない。

 

 第156回芥川賞候補作にして小説家処女作『ビニール傘』は、長年大阪に住みながら、京都にある大学のキャンパスで教鞭をとる社会学者・岸政彦が見てきた大阪の、建前ではない生々しい現実の姿がほんとうに細かく描写されている。ウディ・アレンは映画『ミッドナイト・イン・パリ』でゴミだらけのパリの街を「誰もが想像する華やかなパリ」に変貌させたけれど、岸は登場人物の淡々とした語りによって、大阪と、大阪に生きる人々のリアルな姿を泥臭く丁寧に掘りさげていく。本書を読み終えた頃には「十三」「中津」「堺筋本町」という断片的な記号だったものが、忘れられない地名として意味を持つ。

 

 「この街の、この国の夜は、こんなに暗い。」という岸政彦の帯文と、写真家・岡本尚文が撮影した沖縄の夜。表紙を見たとき、なぜだか胸が張り裂けそうになる。沖縄をフィールドに、未成年の少女への調査、支援を行なう教育学者・上間陽子の『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』は、上間が故郷の沖縄で、4年間にわたって行なった聞き取り調査のルポルタージュ。夜の街に生きる若い女性たちの「選択」から、私たちは沖縄という土地に巣食う暴力や貧困という事実に、単に向き合うべきか。いや、重要なのは彼女たちが少ない選択肢の中で居場所を作り上げたことのかけがえのなさと、放置されている日本社会の構造的な問題に目を向けることだ。今日も彼女たちは裸足で逃げる。どこまでも。

 

 最後に異国の不思議な話を。津村記久子の短篇集『浮遊霊ブラジル』の表題作は、初めての海外旅行を前に死んでしまった72歳の男性が、アイルランドアラン諸島に行きたいという執念のため成仏できず、現世をさまよう浮遊霊になるというストーリー。やっとアラン諸島に行けるはずが、なぜかブラジルに辿りつき、そこで運命的な出会いを果たす。ちなみに浮遊霊って、土地の精霊と出会えるのだろうか。気になる。