Spare Times

暇な時に書きます

人と会うことにする

作家の川上未映子さんが、雨宮まみさんについてのエントリーで「書評は仕事なんだし、そんなふうに個人的にお礼を言うのはかえって失礼なんじゃないかと思って結局、そのことを言えないままでした。」と言っていて、そういえば雨宮さんに近しい人はみんな、こんな感じのことを書いていることに気づいた。つまりたくさんの人が、言おうとして言えなかった、会おうとして会えなかった、ということを書いている。「やろうと思っていたけどできなかった」という後悔をしている。

 

僕は相手に嫌われてもいいから、相手のことを慮って大切な機会を逃すのを、本当にやめようと思う。失礼かもしれない、ずうずうしいかもしれない、相手が忙しくて迷惑をかけるかもしれないというのは、完全に自分の主体の考えであり、「かもしれない」ことは、一生考えても答えがでないことだ(だって、決めるのは相手だから)。そうやってぐるぐると自問自答しているうちに、大切な機会を永遠に失うということが、改めて刻みこまれた気がします。最近、自分の親しい人が亡くなってしまうことが多かったから、なおさら考えた。

  
別に、失礼ととられたら真摯に謝ればいいし、ずうずうしいと言われたら「性格なんです」と笑って言えばいい。それでも許してもらえなければ、その程度の関係であって、つまり合わないってことだ。そんな人と付き合っていく義理はないんだよ人生は短いんだから。それでも許してくれる人とは、ずっと付き合っていきたいと思っている。編集者としてもだし、一個人としてもそういうスタンスでいる。とにかく「機会を失うこと」は押し並べて恐ろしいことで、悲しいことだ。人生の長さは、自分では選べない。そのことが、さらに恐ろしい。
 
これからは会いたい人にはいつ何時でも会うし、いつ何時でも言いたいことを言うし、いつ何時でもゆっくりと話をする。行きたい場所には、可能な限りすべて行くようにする。人生は本当に短い。短いんだから、自分のやりたいことを、精一杯やればいい。それで得られるものが、「後悔をしない」ということなんじゃないかな。