Spare Times

暇な時に書きます

27歳になってしまった

永遠に10代が続くと思っていた。

 

20歳を迎えてすぐ、永遠がこの世に存在しないことを知った。少しワクワクして新幹線に乗っていた。地元に着いて成人式に行き、ゴミの掃き溜めのにおいのする人間のカスどもをたくさん見ながら、ああ、結局僕もこいつらと同じ年齢になってしまったんだなと、その時に強く思った。彼らと同じ20歳になるということは、自分がたいして崇高な存在でもないくせに、崖から落とされて同じ立場になることを強制されているような気がした。

 

 この時はまだ他人をたいそう見下していて、もちろん仲のいい友達は別だが、自分とはたいして関わりのない誰かのことが、豚小屋のクソにたかっている銀バエにしか見えていなかった。今となってはこのことをとても後悔して……いるはずもなく、近くに豚小屋なんかめったやたらにはないのだが、地元に帰るたび、ひどく臭いクソだまりのにおいに一週間くらいは鼻腔がやられてしまう。20歳になったときに感じた風は、クソだまりのにおいがした。

 

20代の6年間、そのうち2年くらいはつまらないクソだまりの連中と仕事で接したことにより、鼻が麻痺してそんなに気にならなくなったので人間の環境適応能力にびっくりした。そして世の中にはクソだまりに生息する銀バエみたいな連中が思ったより多いことに気付いた貴重な時間だった。27歳をむかえた今になって、少しだけそう思っている。いや、本当はあまり思っていない。

 

 「他者の存在があり、無人ではないのだから“知覚”は成立するのだ」と、『無人島』という概念にこだわった思想家ジル・ドゥルーズの哲学が、少なくとも他人という存在は必要なのだということを焦らしながら教えてくれた。その思想は、鬱屈したクソだまりのなかにも確かに存在していると思う。

 

 あと3年たつと30歳になってしまうが、それによって劇的に何かが変わるというわけではもちろんないのだけれども(少なくとも体調管理を怠ると肥満は進行するわけだが)、子どもの頃は30歳という存在がそこにあるということを肯定できなくて、それこそ10代が地続きで死ぬまで続くのだと思い続けていた。そんなピーターパンシンドローム的な考えをしている自分も、実はクソだまりの中に生息する銀バエだと気付くのに27年もかかってしまったというわけでした。いろんな銀バエにごめんなさいと謝りたい。銀バエさん、クソだまりのなかにいるみなさん、この場を借りて、ごめんなさい。今度は28歳であいましょう。モスカ!