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Spare Times

暇な時に書きます

「拡張現実」と「仮想現実」を生きる

加速度的に増えていくユーザー数。街を見渡せば、人はみなスマートフォンの画面に没入している。ひとつのゲームコンテンツとして、短期的な現象にしろ、これほどまでのムーブメントが巻き起こったのは何年ぶりの出来事だっただろうか。ポケモンGOの話である。

 

先月ついに日本に上陸したこのアプリ、私たちの生きる現実の世界を舞台に、カメラのレンズを通すことで周囲に潜むモンスターたちを認識、捕獲することができ る。現実世界にコンピュータによる情報を介入させ、文字通り“拡張”させてしまうこの技術は「拡張現実(AR)」と呼ばれるもので、記憶に新しいところで は2008年に発表された「セカイカメラ」、そしてほとんど時を同じくして放送されたアニメ『東のエデン』でも、同様のコンセプトを用いた画像検索エンジ ンが登場した。グーグルマップを用いた陣取りゲーム、Ingressが話題になったのは、ついこの間のことだ。

 

その一方で、ディスプレイ上にもうひとつの現実を作り上げてゆく「仮想現実(VR)」にも注目が集まっている。ヘッドマウントディスプレイを装着し、眼前に広がる仮想空間のなかでプレイするSONYのゲームは、発売前にもかかわらず大きな注目を集め、予約が殺到した。さらにいえば、次世代のアダルトコンテン ツ最右翼と見られているのがこの技術であり、東京都内で行われたアダルトVRフェスタはどうもすごい人気があったらしい。

 

「拡張」すること、そして「仮想」であること。進化するテクノロジーのなかで、今生きている現実の上に、私たちはこうした新しい現実の選択肢を持つことができ る。かつて哲学者のジャン・ボードリヤールは『シュミレーションとシュミラークル』のなかで、様々な事象は、プラトン的な「コピー」と「オリジナル」という二項対立という概念で捉えるのではなく、「なんとなく、こんなキャラクターいたよな」というオリジナルのないものを無限にコピーすることで成り立つ社会を説いた。から、どうということでもないのだが、私たちの世界にオリジナルというものが無いのだとしたら「拡張現実」や「仮想現実」によって作られたシュ ミラークルの世界を本質的にどう享受し、そして、どう生きればいいのだろうか。そのヒントはきっと、新しい現実のなかにある。