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Spare Times

暇な時に書きます

無理かどうかは女の子が教えてくれるさ

大切なことを教えてくれるのはいつも女の子、ではなく、尊敬できる先輩だ。思えば新卒で入った会社で、先輩は僕になにも教えてくれなかった。けれど、彼は大切なことをたくさん教えてくれた。

 

大学時代に、文字を書くこと、そして読むことは人並みには経験していたので、ある程度自分の文章には自信があった。かつ、今の職業とは全く関係ないけれど、 長年「映画監督」「脚本家」になりたいという夢を持って入った大学の試験科目で、迷わず脚本を選んで合格した。そういえば広告記事のライターもしたな。

 

自分は文章が書ける。社会のことをよく知らなかった僕は、とにかく書ける、と思っていた。入社して最初の仕事はインタビュー。たしか入ってまだ2日目だったと思う。夕方に先方の出版社まで行き、作家さん に話を聞いて、それを夜中までかけて丁寧に文字に起こした。「ベタ起こし、できました!」と、この日の仕事は全て終わったかのようなスッキリとした顔で先輩に言うと、彼は「構成もやっといて」と言った。僕は入社2日目で殺人犯になりかけた。

 

構成はいまでも難しい。 相手の呼吸、話す速度、タメ、思案、葛藤、哀しみ、喜び、そしてなにより「空気」というアバウトなものを文章に落とし込み、インタビュイーの伝えたいことを、 読者にそのまま伝わるようにしなければならない。それ以上に、息づかいまで聞こえるようなものを作り上げなければ、良いインタビュー記事とはいえない。こ の前提が作り手の側できっちりと共有されているものが、たとえば民俗学者赤坂憲雄のインタビュー及び対談だ。中村桂子JT生命誌研究館館長)との対話 「東北から明日の神話をつくる」https://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/082/talk_index.html での、赤坂が発言した一部を引用する。

 

僕は、太郎の書いたものにくり返し出てくる、生活という言葉が好きで、それは生命と分ちがたい意味だと思います。

 

これだけの文章でも、インタビュイーを知っている人、知らない人では、対話から想像する赤坂憲雄の肖像が異なる。客観的にみると、無駄に句読点が多い。「僕は、」に点はいらない。おそらく普通に構成していけば、いくつかの句読点を取ることになるのだが、実際は取らない。なぜならば、赤坂の話し方はまさにこの文章の通りで、言葉を生み出す時にできる間は、そこにある句読点の存在そのものだ。彼のインタビュー記事はほとんどが、多くの句読点であふれている。多少読みにくくとも、作り手がインタビュイーの「間」まで伝えること。発言した時間軸を変えることや、発言に補強を加えること以上に、構成で最も大切なのは文字を耳で聴いてもらい、音を感じ取ってもらうことだ。

 

ということに、あの頃の僕は鈍感で、さらに眠たいものだから早く投げ出してしまいたい、帰りたい、という想いが強かった。朝までに完成した原稿はそこそこ上手にまとまったように見えたが、さすがに直しがあるだろうと思って渡すと、先輩は誤字脱字の 修正だけしてそのままデザイナーの机に置いた。僕は、「なんだコイツ、手抜きか……クソ……死ね……」と寝不足でイライラしながら別の仕事を始めた。その日の夕方、遅めの昼食から帰って机の上に置いてあったゲラを見てみると、ほとんどの文章が入れ替わっていた。そしてそれはとても美しかった。

 

「えっ、 これっ……」と聞いてみても先輩は何も言わず、カタカタカタカタと自分のPCに向かっていた。徹夜で作った原稿があまりに稚拙だったことにがっかりしていると、横に突然先輩が現れて、雨宮まみさんの対談本と、長田弘の詩集を置いて、コンビニかどこかへ消えていった。机の上にあるたった2冊の本。僕はそれをすぐに読み始めて、彼が何を伝えたかったのかを理解した。いや、いつもはめちゃくちゃ雄弁なんですけどね。なんかこういう時はほとんどしゃべらないんです。

 

一緒に仕事をやりはじめて何年かたった。彼は相変わらず、僕が困っているとき、文章の改善点を見つけたとき に何もアドバイスをくれないし、赤字すら入れてくれない。そのかわり、折をみて、「これ」という件名でsociologbookのURLを送ってくれたり、無言で机の上に本を置いていってくれる。僕はすぐにそれを読み、血に、肉に変えて文章を作り上げる。それが記事になり、公に放たれる。という流れができあがった。

 

最近になって会社を辞めたので、もうその先輩と一緒に働くことはない。先輩は何も教えてくれなかったけど、大切なことをたくさん教えてくれた。