Spare Times

暇な時に書きます

意見交換会

数年前のこと。雨の新宿を濡れながら歩いていたら道を聞かれたので、良かれと思って相手も自分も濡れながら1時間くらい教えてあげていたら、なぜかその後で意見交換会をすることになった。最近はしていないが、たまにメシを食ったりする。

 

今日は新宿で外国の人に道を聞かれて目的地まで連れて行ってあげたら、一緒にメシを食うことになった。こんなことが、良いか悪いかは置いといて、よくある。この新宿という街の持つ混沌さは様々なもの、というか関係性を包摂する。そして私たちは新宿に沈殿して、また混ざり合う。

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嗚呼、向井太一くん

向井太一氏のアルバム『24』で特筆すべき点は2曲目の『STAY GOLD』にある。「共感」(ここでは言葉の再生産について指摘があるが、つまり言葉の軽さを示している)そのことについて、ややシニカルに書かれた向井のリリックは“流れていく時代の中で その言葉で その音で 何が伝わるの?”のフレーズから、重みのない言葉や音についての問題提起をする一方で、詩の最後にあるこのフレーズ、“この言葉で この声で そこまで届くまで”からは、葛藤しつつ、もがきながらも、ある決意をした向井の心情を見出すことができる。リリックとメロディとの見事な調和で完成したのは、甘さやクールさなど感じさせない、向井太一の秘める「熱」、あるいは「怒り」から成り立つ力強い楽曲。2017年以降のカルチャーシーンで、自分の立ち位置を確立してしまうことは自明、そしてそれだけに止まらない向井太一のおおいなる才能を、まざまざと見せつけられた。

 

24

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「共感」を作る仕事って、なんだろうね。

「共感」について考えるきっかけになったのは、5月4日に投稿された國分功一郎さんのツイートでした。

 

 

 

この近接性について考えねばと思ったのは、國分氏の言う書き物(小説なども含む書物)、あるいはインターネットメディアやマスメディア、そして音楽の世界をも横断している問題だと思ったからです。改めて周囲を見渡してみましょう。そこにあるのは「我々と身近で」「自分の問題でもあり」「(他者だけではなく)私たちにも関係のある」ことがらだけです。少なく見積もっても、ほとんどのアウトプットは私たちの身の回りにある出来事ばかりなのです。私たちは日々、身近なものについて感覚を刺激されながら一喜一憂している。しかしそれは是なのか?

 

想像力が貧困であってもよいという前提に立っている

 

國分氏のいうこの前提で、話をしようとしてはいないか?

紙のメディアやWebのメディアを見ていると、最近は著者自身の熱量のこもった文章がどんどん削られていっているように思います。ここでの熱量の定義は、その記事にかける気持ちみたいな安直なものではなく、書き手の内側の汚れた部分(=他人には引かれてしまうような思いっきり個人的な重たい気持ち)を指しています。それがめっきり減ってしまって、ほとんどの記事からは熱量を感じることができなくなってしまいました。本当の意味での文体はほとんど残っていません。安い紙でコピーされた薄っぺらい文体しかない。

 

他人から見ると、個人の重たい気持ち・想いって、たぶんまったく共感できることではなくノイズになってしまうものです。つまり「身近」であることがあらゆる場で求められ始め、書き手の熱量のベクトルが全く別の方向に変わってしまった。

 

話題に上がるのはもちろん読者の感情が触れやすいものですし、「すごいね」「面白い」となるものです。でもそれって前提にあるのは想像力が貧困でいいってことですよね。酔ってきた。

 

これを受けて思ったのが、(日本の)ロックバンドの歌詞のほとんどが「身近」「自分の問題」を語っているだけということです。もうロックに限る必要はないのかもしれません。音楽は歌い手の周辺の物事で完結してしまっている。貧困な想像力に訴えかけることで「共感」を得るだけになっている。数多くいるアーティストの需要が細分化されるのは、この共感したリスナーをそれぞれ取り込んでいるからで、イコール大きな物語を読ませることができていない。だから大きなヒット作品も生まれない。アリーナを埋めるアーティストが、もう一方ではその存在くらいしかしられていない。

 

僕はリリックや文章などに対する安易な「共感」という言葉がマジで嫌いなのですが、それは「読み手(聴き手)の想像力が貧困であってもよい」という前提があって、貧困な想像力にフックをかけて釣っているだけだからです。そもそも共感って非常に立体的な感情ですよね。あらゆるものにシンパシーを感じることができないのは、共感がそれだけ複合的なもので形成されているからです。すごくバカみたいな表現をしますが、例えば“安い共感”と”高い共感”があるとします。今起きていることは、身近な事柄を「想像力が貧困な他者」に語りかけて、“安い共感”を得ているだけです。とても軽い。

 

この安い共感を切り売りして得られるものは、端的に言ってPVだったり、いいね!だったり、時として実売やDLだったりすると思うのだけれど、そこに本当に「エモーション」は存在しているのかという哲学的問いについて考えなければならない。感情とは何か。感情って何ですか。いや、考えるだけ無駄で、そこにエモーションはない。

 

知人のカルチャー誌編集長に、「最近注目しているロックバンドはいますか?」という質問をしたら「みな身近なことばかり歌うので最近注目しているロックバンドは日本にはいません」と返ってきたことがありました。たぶん國分さんの言ってる内容と意味は同じで、

“近く”ないと想像できない知性の現状を何とかしようとしていない

のだと思うんです。大きな問題を完全に無視してしまっている。それはアウトプット側のものではなく、個とは別の事象としての大きな問題です。そこに触れているバンドっていましたっけ?いたら教えてください。よしなに。

 

あ、あとこの「世界のイメージ」という文章は分かりやすいっす。

 

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烏丸御池という場所

西宮北口から梅田行きの阪急電車に乗って、途中、十三(じゅうそう)という駅で乗り換えて烏丸まで行き、京都市営地下鉄四条駅まで歩いたのち、そこから210円かけて烏丸御池という駅で降りる。ということを大学時代の彼女や友人と週に1度は続けていて、しかしほとんど一人で通っていたから誰かと共有する思い出ではなく、自己完結的な色合いの方が強い。

 

烏丸御池駅から出ると、道路を挟んだ向かいには大垣書店があって、目の前には名前を忘れてしまったが、スターバックスのような西海岸らしいカフェがあったから授業終わりでお腹が空いていたときはそこで食べるか、定食屋sotoという地下にある飯屋で腹を満たしていた記憶がある。近くにあったマクドナルドは日本家屋のような外観で、さすが京都と思ったものだが、ついぞ一度たりとも行くことはなかった。

 

駅から少し離れたところには知る人ぞ知るセレクトショップがあって、烏丸御池に行く目当てはそのお店だった。大学時代の思い出はそれしかないといっても全く過言ではないほどショップに通い詰めていた。もちろん服も買うのだけれど、ほんとうに楽しかったのは店員さんとの会話で、閉店時間を過ぎても話し込んでいたからたぶん4時間くらいはずっといて、普通のお店だとおそらく迷惑な客と見なされると思うが、店長はむしろ僕の長居を嬉しがってくれていたようで、この音楽を聴いた方が良いと言ってジョージィ・フェイムのCDをくれたし、様々な洋書も読ませてくれた。それからお互い贔屓のプロ野球チームが同じということもあって、赤い球団の話をそれこそずっとしていた。60年代のレコードがかかり、異国情緒あふれる店内はイギリスでいったことのあるお店に似ていたけど、なんせ場所は京都だし、店長もこてこての京都弁だったので、まさしく「異界」である。関西を訪れている著名人もよく来るお店だったので、何度か遭遇したが結局ひとことも喋ることができなかったのが今でも心残りだ。東京の本店で、京都店で会った人と再会したけど、また話すことができなかった。


Georgie Fame & The Blue Flames - Yeh! Yeh!

 

今でも折に触れて思い出すのは店長との会話で、彼は「瞬間」を大切にするひとだった。そんな人とはなかなか会ったことがなかったので黙って話を聞いていたのだが、彼の話のほとんどは、今でも僕が実践していることだから大切なことを学んだと思う。

 

イヤホンをしない、と言っていた。なぜですかと聞くと、だってイヤホンなんかしてたら日常の音を聞き逃してしまうやんか、本当に大切なことは案外日常のなんでもない瞬間に落ちてくるもんやで、と説明してくれて、それ以来イヤホンをすることがなくなって、その代わりにいくつかのものを得たと思う。

 

結婚式で写真は撮らない、と言っていた。なぜですか、と聞くと、だって必ず誰か撮ってるんやから後でシェアしてもらえばええねんと言い、僕がうーんという顔をしていると、結婚式で本当に大切なことはその場の空気をしっかりと目に焼き付けることで、それはレンズ越しでは難しいことだと彼は言った。それから僕は必要以上に写真を撮らなくなって、なるべく自分の目で見ることにしている(なんにしてもだ)。それ以外にも、彼は僕が京都大学の院に行こうか迷っていると相談すると、やはりそれは誰かを通して決めることではなく自分で決断することだと言った。今この瞬間しかできない選択だから大いに悩めと。

 

学生時代は本当に良い思い出がなかったけど、この烏丸御池での経験だけは良かったと言えるし、今度帰省した際には改めて、結婚おめでとうと言いに行きたいと思っている。僕のペンネームは、この土地と彼からもらった大切な時間が詰まっているので、付ける時にはあまり時間を要すことが無かった。今度は烏丸おいけとして烏丸御池を歩いてみることで、自分にしか分からない新しい瞬間を見つけていきたい。

 

犬が死んだ

「犬が死んだ」。いつもは寝ている時間に母親からメッセージが来たものだから、「そうか」とだけ返してまた寝た。

 

起きて、目をこすりながらスマホの画面を見た。「犬が死んだ」という言葉と「そうか」という言葉だけがぽつんと残されていて、その装飾のない会話を見たまま、嗚咽した。15年間を一緒に過ごしたからだの小さな犬は、たぶんもう二度と起き上がったり、甘噛みをしてきたり、好物のクッキーをせがむための奇妙なうめき声を出すことはないんだという感情が渦を巻く。なにも考えられない。

 

実家では供養する準備が着々と進んでいるようで「吐いた跡もないし安らかに死んだと思う」「穴を掘りました」「部屋を片付けています」という連絡が画像付きで親と僕、そして僕の弟のグループチャットに送られてくる。弟は墓を買うらしい。僕は「そうか」「仕方ない」とだけ返すばかりで、後は実家から遠くはなれた東京の部屋で、ずっと泣いていた。

 

学校をサボって家の庭で漫画を読んでいた時に僕の膝の上にのぼり、気付けば寝ていた犬は、社会人になった今でも家の庭で漫画や雑誌を読んでいると、15年前と同じように、しかしゆっくりとした動きで膝にのぼってうたた寝を始める。

 

もう何年か前から白内障で両目は見えていなくて、一緒に散歩をすることはなくなってしまった。近所の人に可愛いねと言われて無防備にお腹をさらけだす服従のポーズ。それも家族以外の前ではほとんどできない。幸いにも僕の家は割と広かったので、散歩に連れて行けなくなってからは庭に離して自由気ままに遊ばせていた。たまに野生に戻ったような顔つきをして穴を掘っていたから、年老いて目が見えなくなってしまった後で大変申し訳なかったけど、「飼い犬」という枷が外れて楽になってくれていたなら嬉しい。

 

人間の年齢にすると、15歳ってどれくらいだろう。70、80歳くらいだとするなら、とても悲しいけれど寿命だから、この死は受け入れられる死だと納得することができる。去年の話をすると、つながりがある人の多くは、その寿命を迎える前に亡くなってしまったから、そのことはまだ受け入れられずにいるし納得もできていない。取り残された人たちは、寿命だからと無理矢理受け入れられる死が、寿命ではないとすれば、どうやって受け入れればいいのだろう。

 

 

みんなに愛されていた作家さんは、みんなに愛されたまま逝ってしまった。女子が多いというだけの理由で選んだ高校で出会った同級生は、海難事故でこの世を去った。ニュースになった友達を見た時、「ただの」「他人の」「死」と分解することで受け入れるのをやめて、考えることもやめた。だからお線香はまだあげにいっていない。

 

ーー

 

僕には一時、道で出会った女性と合コンをするという奇妙な習慣があった。月に一度開催して、お持ち帰りは一度もないというあまりに健全な合同コンパ。最初の方は友達を誘っても怪しがってなかなか来てくれなかったけど、それでも5人集まった。女性側はメンバーが変わっていくのに、男性側はその5人が固定と、たぶんあちらの主催者には不満の残るものだっただろうけど、僕たちはその健全な合コンを楽しんでいた。

 

二次会にはメイド喫茶ガールズバー、友達のひとりにそういった趣味があったので、熟女キャバクラというところにもいった。スーパーマリオに登場するクッパと瓜二つの女性が横についたりして、もう最悪の思い出だったので、くわしく語るのはまたの機会にしたいが、とにかく歪な形で始まった合コンを毎月、やり続けようと決めた。つまらないが、面白い、という矛盾した感情が嫌いではなかった。

 

5人のメンバーのなかには一人、新卒にあたる年齢のK君がいて、というか彼は新卒だったのだが、会社では営業で成績も良いらしく、とてもノリの良い人間だった。おかしな笑い方が特徴で、若いテンションで場を盛り上げる役割を果たしてくれていたから理想的な後輩だったし、年齢なんかは本当は関係なくて、普通に友達だった。そのK君が2016年の冬に自殺した。合コンを除いても普段から一緒に遊んでいたのだけど、あるときから不参加が多くなって、次第に連絡が取れなくなっていった。僕たちは心配したけど、それぞれの生活がもちろんあったりするわけで、まあKは忙しいんだろうなと思ってこちらから連絡は取らなくなった。

 

「鬱」だったと分かったのはそれからしばらく経ってからだった。たぶん営業には向いてなくて、無理矢理テンションをあげていたんだろう、とはK君と一番仲の良かった友人の弁。仕事を辞めたK君はしばらく家でぼーっとして、それから職探しを始めたらしいと、これもそいつから聞いた。僕たちはK君の社会復帰を喜んで、また合コンやろうなとチャットにメッセージを書き込んだ。「おう」と短い返事があったので、たぶんなんとかなるなと思っていた。無事に就職したあかつきには、大学時代から付き合っている彼女と結婚するとか言っていて、数年以上、そういった色恋の話のなかった僕たちは素直に妬んで、素直に祝福した。結婚祝いに何を買うか、こっそり集まって話し合ったりもした。

 

K君は初めての出社日の朝、自宅で首を吊って死んだ。一番仲の良かったやつからKが死んだと連絡がきて、僕たちは関東にある彼の実家にいってお線香をあげた。誰も泣いていなくて、不謹慎だけど笑っていた。たぶん誰も、あいつが死んだことを受け入れるつもりがなかったからで、それは今でもそうだ。

 

幼稚園の時、人生がRPGのゲームだったら良いのにと、ずっと考えていた。でもそんなことはありえなくて、小学校2年生の頃にはクラスメイトが事故で死んで、中学3年の頃には後輩が車にひかれて死んだ。高校の友達は卒業してから海難事故にあったり、アルコール中毒になったりで、何人かこの世からいなくなってしまった。大学の友達は第一志望の会社に受かって、入社して数ヶ月経った時に白血病になり、それから信じられないようなスピードで亡くなった。結局、現実の世界では誰も生き返ることはなくて、僕はまだ、誰も生き返られないことも受け入れられずにいる。

 

人生はRPGではないので、たくさんの人たちや犬が死んでしまったということも、いつかは風化してただの記憶の一部になっていく。亡くなったという事実が残るだけで、その時の感情は忘れていく。それがとても悲しい。

 

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ザイル系集団

眠いのでInstagramを見ていた。

地元の同級生にザイル系がいるのだが、卒業して一度も会っていないのにフォローされフォローバックしたため、ザイルの生活がタイムラインに流入してくる。ザイルと呼ぶ。

 

ザイルの写真(つまり生活)は3パターンに分けられる。1つは上半身の露出。ジムに行っている時などによく見られる。次に、スーツを着て社長風の人たち(HIRO似)と肩を組んだまさにEXILEな写真。最後は、これが1番多いのだが10人規模でのパーティで、マキダイや関口メンディ、HIROのようなザイル系がいる。

 

プロフィールにはfreedomと記載されている。苫米地英人の本をよく読んでいる。ほとんどすべての写真には自分が写っている。モデルと名乗っている(モデルのような写真はない)。

 

実態のよく分からないあの感じ、高める意識の方向を間違えているあの感じ、外面だけを気にしたハリボテのようなあの感じ。EXILE、および彼らのフォロワー・ザイル系が示すのは、今の日本の空気だ。たぶん。