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Spare Times

暇な時に書きます

承認をめぐる冒険

で、ソーシャルやウェブ、メディアにてしのぎをけずるひと多し。ということが改めてここ数日の1円問題で分かった形。せめて自分の持つオールが偽物じゃないかを確認しましょう、舟が泥舟じゃないかを確かめてみましょう。現場からは以上です。

人生の指針

人生にはいくつもの選択肢があると国語の教師が言っていた。人生にはあらゆるタイミングで、「選択」を行わなければならない局面が訪れる。得てして、我々はこうした選択に直面した時、明確に選択肢を定めることが非常に難しい。あれがいい、これがいいとすごく悩む。例えば学生時代はお金を稼ぐための「アルバイト」をなににするか、そして、どこに「就職」するかなどである。※進学のような、偏差値という指標があるような選択については言及しない

誰でも悩むのは当たり前なので、せめて取捨選択をするときに一番手っ取り早い方法をご活用頂きたい。それは両親に、両親がいない方は祖父母に、あるいは兄弟姉妹に、もしくは親戚に対して、その選択したものについて胸を張って言えるかどうか、という判断基準だ。親は人生の指針であり続ける。

ゴリラ!マウンティング!なりたい!!!はああ!マウンティングゴリラなりたい!

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「起業したい」→「起業するやつはすでに起業している」「フリーランスになりたい」→「フリーランスになるやつはすでになっている」

はい論破。フリーランスになろうかなと思った。会社に時間を縛られるのはメリットがあまりないというか全然ない。ふらーっと出てふらーっと帰ってくるような昔ながらの出版社らしきステレオタイプな働き方は、今の年齢(のせいにしては言い訳になるので、実績)では無理無理無理のかたつむりなんだよな。そして、ふらーっと、ができるような年齢になったときには、たぶん今の自分がやらせていただいているような仕事の依頼はこないだろうしできない。今日、人と話す機会があってその趣旨の話をしたけど、フリーランスになっても今の自分では仕事がもらえないし取れない。だからフリーランスになる勇気はない。だから、勇気をもって今の職場を離れる人を心底尊敬したい。自分は転職に伴って会社を辞めたことが一度あるけど、それは勇気じゃなくて嫌気だった気がするんだよな(その時の職場に対しての)。辞めよう、と思ったときにフリーランスの選択肢は考えなかった。いくつかの会社から声をかけてもらっていたし、「出版社 ランキング」でググるとトップ10のあたりにいる会社から内定も貰っていたことが、おそらくフリーランスという選択肢を覆い隠していたんだろうなあと今思う。見ないようにしていたんだ。俺はモテる!(会社から)、と思っていたことは否めない。結局さっきあげたいずれの会社にもいかなくて、最善の選択肢だと思ったのが今の会社なんだけれども、つまり言いたいのは「自由をよこせ!!!!!!!!!!!!!!!!!実績ある程度作ったし賞ももらったし評価も高かっただろ今期!!!!!!!!!!先っぽ!先っぽだけ!一回だけだから!お願い!たくさん働くから!> <」ということですね。自分はあんまり進路みたいなことで迷うことはないけど、たぶん、本当にフリーになるときはすごく迷うんだろうな。なんかタイトルに反して常見陽平みたいな文章になってしまった……。

最高のエンターテイメント

誰であれ、どこであれ、人と話すのはメリットしかない。「よくそんな暇あるね」という人が、暇のないような生活をしているとは到底思えないから「暇のない生活ご苦労様です」と皮肉ともとれない皮肉を言うくらいには人と話すことに価値を見出している。多様な価値観という使い古された言葉は自分の中ではまだ真新しくて、本当に多様なストーリーテラーの語りは最高のエンターテイメントだ。テレビは大好きだしラジオも大好きなんだけど、脚色はあっても脚本のない会話が、マスメディアの面白さを凌いでいると思う。全米が泣くことはなくても、少なくとも全俺が泣いてしまうような話を聞くと、その日は誰かの作り出した何かを見なくても満足してしまう。というか毎日始まってもいないことにヤキモキばかりしていないか、始まりはいつだって大胆なんだけどその時は気が付かない。ことに気が付きたい。

デジタルを信じられない

先ほど、写真データなどを保存しているクラウドサービスにアクセスしたら「只今メンテナンス中です」と表示されて、うおっとなる。もしこのまま全部消えてしまったらどうしようと思った。デジタルを信じられない。

 

いやデジタルは信じている。もう、身のまわりのアナログ的なものは手巻きの腕時計くらいしかない。PCは必ず毎日持ち歩くし、タブレットで本を読むし校正もする。もちろんデータ類はクラウドにおいているし、アナログ的なメールサービスよりもデジタルな感じのするチャットを好む。映画もHuluやネトフリやAmazonで観ている。彼女はもう、VRにいる女の子で良いと思い始めている。けれどやはり、デジタルは信じられない。

 

外付けハードディスクを1万円で買った。大事なデータはそっちに保存する。iCloudと同期はしない。ストリーミングで音楽を聴くことはなくて、CDをいまだにたくさん買う。iTunesで音楽データを買うことは少なくて、TSUTAYAで借りたアルバムを光学ドライブで読み込む。いやデータはデータなんだけど、アナログ的なものがないと落ち着かない。電子書籍で本を800冊買ってしまったことに驚いたけど、家にある本を数えたら1100冊くらいあって、なぜだか安心した。親と交わすやりとりが、チャットになっていることが寂しい。おばあちゃんとは手紙でやりとりしているのに。

 

たぶん、信じられないのは責任の問題だと思う。データは物質的なものではないから残らない、というのは表層的で、もし無くなってしまった時に、データを管理しているサービスが何の説明もなく閉鎖された時の責任。この責任は誰のもの?  自分の不注意で外付けハードディスクを踏み潰したときの怒りの矛先と、クラウドサービスが閉鎖されたときの怒りの矛先は明らかに違う。前略プロフィールは誰かにとっての黒歴史だったかも知れないけれど、他の誰かにとっては大切な歴史だったかもしれないよな。このはてなブログで書いているつまらない日記も何年かしたら全部消えているんだろうな。

 

仕事柄、テクノロジーに触れる機会が多くて、今日もヴァーチャルな話で盛り上がったけど、盛り上がったあとに盛り下がった。デジタルを信じられない。

 

「薄謝で申し訳ございませんが、1文字1円で何卒宜しくお願い致します」は悪か。

WELQの炎上案件については別で書きたいのですが、ちょっとダメだなと思ったのは昨日金田淳子さんが言っていた「1字1円で、ライターは資格問わず募集、チェックしている人たちもファクトチェックできる能力がない素人」、というファクト。1文字1円、これは頭脳労働でもらうべき額ではないし、なにかしら実績を作りたいという学生さんには良いのかもしれないけれど、質が担保されないのは明らかです。

togetter.com

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ただ、薄謝について、全てを「悪」としてはいけません。(この業界以外の)普通のお仕事の人にとって、お金ってもちろん重要です。ですが、この世界では少し違うのです。例えば、「◯苑で働いて食べていこう!」と思っている人は少ないでしょうし、某批評誌も某gueも、正直そんなにたくさん貰えるという話を聞きません。むしろ安いと聞きます。ただ、安い代わりに得るものがたくさんある。それが「その媒体に載ることで貰える名刺」だったりする。

 

〜という媒体で書きました、さらに継続して使ってもらっています。と別の仕事相手に言えるのは、その後、貰えるものの大きさを担保します。クラウドソーシングでの1円よりも、名のある媒体での1円(はちょっと言い過ぎか。でも無料のところもあるしな)を、モノ書きを目指す方々には目指して欲しい。すぐに実績が欲しい?それならば、今だとブログやnoteが良い。1文字1円で小さな、ほんとうに小さな実績を積み上げるよりもバイトをしながら、あるいは働きながら、ブログやnoteを書いてください。「どんなものを書いてこられましたか?」という質問が来たとき、それを見せた方が良いです。WELQみたいなとこに引っかからずにすむし。

 

ただ、この世の中には「この雑誌(Web)に載れた!うひょーーー!!!!!!!」「原稿料はすごく安いけど、この仕事は楽しい!もうお金いらない!!!!!テンション上がるううううううううう!!!!!!!!!!!!!!」とかなる媒体はもちろんわずか。それ以外の、膨大なクソサイトからの1文字1円みたいな発注は、結局編集もきちんと機能していないところが多いし、質を担保することなんでできないんだから、誰も得をしない。そして、さらなる労働環境の悪化を招くだけです。百害あってさらに害がある。※こういうのマジでやめろよ……。結局1円じゃねえか……。

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原稿料は質を担保するという考え方。また、原稿料を高く提示することによってお金に引っ張られて質が担保されないから全く払わないという考え方。どちらも正しいけど、少なくとも、編集者として発注したとき、高いお金を払って質の悪い原稿がきた経験はない。読まれなかったんだとすれば、それは編集者の責任。記事をどう良くするか、良い記事をどう読ませるかが編集者の仕事なので、記事が悪いから読まれないは編集者の怠慢。生地が悪いからふっくら膨らまないとかいうピザ屋に誰が行くのか、という話です。

 

最後に、自分は信頼できる編集者、好きな編集者には一切お金の話をしません。そして、信頼できない人とはそもそも話をしませんよ!!!!!

客引きに絡まれました

 昔の話。友人と深夜の歌舞伎町をぶらぶら歩いていると、どうしてもたくさんの客引きがいる場所を通らざるを得ない状況に直面した。もう行くしかないと思い、少し酔っていたのもあって、話しかけてくる客引きに対し、お店に行く気もないのに「へぇ〜そうなんですね。どんなサービスがあるんですか?」だとか、「お兄さんはおいくつなんですか?出身は?今どこに住んでいるんですか?」などといった質問を投げかけていた。こういうのは、あまり嫌いではない。気さくな彼らはどんどんボールを投げ返してくれるので、思いのほか楽しい時間を過ごすことができた。歌舞伎町の客引きはそれほど粘り強いというわけではないし(※新橋の客引きは1km以上粘ります)。

 

 聞けば、彼らの多くは20代前半から30代前半くらい。夕方18:00くらいから早朝にかけて路上に立ち、強引すぎない程度に(時に強引に)お客を店に誘い込む。店は普通の居酒屋もあるが、もちろん風俗関係が圧倒的に多い。話を聞いたところ、「まあそこそこ稼げるし、自分たちも風俗で遊ぶことが大好きだからやっているんだよ」と、ものすごく純粋な顔で言っていた。これが欲望の街のあるべき姿なのかと思った。人間は、他人の欲望を直視すると引いてしまうものだが、嫌な気はこれっぽっちもしなかった。まあ結局こちらは話すことが目的で、話し終わると「すみません、今日は映画を観に行くのです」と言って断る。嫌な顔をするが、結局解放してくれる。

 

 客引き界(?)には、若い客引きのほかに、少数ではあるが40歳をこえた客引きがいる。彼らが客を引く時は、独特の空気を作り上げる。若さにまかせたハツラツさと、めまぐるしいしゃべりで勝負する若手客引きたちとは異なり、いつまでも穏やかで囁きかけてくるような客引き術を駆使する。それを聞くと、「この人の紹介してくれるお店なら安心だ」という気持ちが出てくる。それが年老いた彼らの戦術なのか、多くの客と出会い、話す中で構築されていったものかはわからない。

 

 そうしたおっさんの客引きと話をする際、彼らを「客引き」とひとくくりにして接してはならない。彼らはあくまで「接客業」の人たちなのだ。繁華街にいくと、私たちは気分が高揚するし、もちろんお酒を呑んでいて酔っぱらっていることも多々ある。それは繁華街にいる上で、圧倒的に正しい行為だ。ただ、そんななかで話しかけてくる彼らに対して、どこか雑にあつかったり、からかったり、バカにしたりと、周囲を見渡すだけでそんな光景が多々見られる。前述したように、彼らは客を引いてくることが仕事であり、そのために多大な労力を使う(今はもう冬だし外は寒い)。もちろん客引きが大量にいるエリアで引くわけなので、なかなか引っ張ることができない場合が多いと思う。そんな彼らをからかうような行為は、当然怒りを買う。血の気の多い若い客引きなら、暴力事件に発展することだってある。客引きを邪険に扱う前に、こうしたことを考えなければならない。その街で、「お客様は神様」ぶってはいけないことを。

 

 ということを客引きのおじさんに教えてもらいました(というかガチで怒られました)。からかってごめんなさい、まがさしたんです、お酒も入っていたし、みんなノリがいいんだもん……。この繁華街近くの交番の前を通ると、「昨日の死者 1人」「昨日の負傷者 109人」と書いてあって、ぞっとしたのを覚えています。