Spare Times

暇な時に書きます

眠れないから試しにTinderをはじめてみたら

眠れないからためしにTinderを始めてみたら時期が時期だけにマッチしまくるという現象が起きて、これを月別に統計とってグラフにすると何かに役立つ気がする。そう、婚活とかね。それはおいといて、やはりSpotifyとの連携が気になるところ。多くのユーザーはやっていないんですよね。

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 Tinderでの外部アプリはInstagramSpotify、このふたつと連携できます。しかしセキュリティの面で考えるとインスタはプライベートな情報との結びつきが強いためになかなか手は出せないはずだけど、実際はちゃんといる(一定数、連携している人がいるけどマッチングアプリでプライバシー大丈夫かよと思ってしまう)。

 

音楽が出会いのツールというか、きっかけになるのは自明だと思うけどあまりSpotify連携してる人はいない印象(男性だといる?)。何がわかりやすいかって、例えば「趣味は音楽です」のとこで「あっ、自分もだ!」と思うけど「自分のアンセム」にDOKATAが表示されてたら趣味違うと思うはず。EXILEとか出てたら自分的には無理。

 

マッチングではないLINEのアンセムでは対して気にならないと思うけど、マッチングサービスでは誰が何を聞いているは肝ですよね。音楽の趣味が明確に違うと他のカルチャーについての趣味も割れる確率高し。映画やファッションブランド、本とかでは分からない部分。「好きなウェブメディア」だったら見えるかもしれない。オモコロ好きなんだ、バズフィード読んでるんだ、CINRAが好きなら感度たかそう。デイリー…ポータル…Z…とか。

 

そういう意味では、ダイレクトに相手の性格が分かってしまうTwitterと連携したらいいのに、と思いましたがいちいち過去のやつ見るのめんどいですよね。SNSだとインスタの方がインスタントだから「分かる」とはなる。ただやっぱりプライバシー考えるとアラサーのワイはインスタ連携見るとビビる。

 

ともかくTinderの特性上、寿司やファストフードやインスタントミュージックみたいなものが求められるのでそこまで考えてる人いないかもね。周りの友人(男性)は基本的にLikeをし続けてマッチングした後に趣味とかそういうのを見てメッセするか決めてるから、2段階認証プロセスだな。以上。

 

みなさん、飲み会のお誘いをお待ちしています

先日、前職時代に仲の良かったカメラマンさんたちや今は別の会社で働いている元同僚たちと、おおよそ1年半ぶりくらいにお酒を飲んだ。カメラマンさんとは墨田区のジャズフェスで会っているから1年も経っていないのかな、街で突然出会って以来な気がするけど酔っぱらっていたのであまり覚えていない。

 

そんな感じで、先に着いた僕たち数人は、サラダとアボカドを食べていた。三軒茶屋にあるチキンジョージというお店は初めていったのだけど、すごく美味しい(焼き鳥も美味しい)。シティ・ボーイ雑誌の人から、シティ・ボーイ御用達のキッチン南海みたいなお店をすすめられて行ってそこも美味しかったんだけど店名が思い出せない。キッチン南海よりはマイルドだった。キッチンなんとかだったと思う。

https://tabelog.com/tokyo/A1317/A131706/13013769/

 

1年半前にお酒を飲んだ時は、会社を辞めるにあたってお世話になったクライアントさんに挨拶周りをして、なかにすごく可愛がってくれた人がいたので4時間ほど飲まず食わず(食わせろ)で拘束されて洗いざらい未来のヴィジョンなどをしゃべらされたのだが(めんどくさいから嘘をついた)、その後に少し遅れて行った送別会の居酒屋で、どっと疲れがでたのかビールを何杯かジョッキでガバガバと飲んで、枝豆を多少口に運びながら壁に貼っていた「これは美味しい日本酒だよ!飲んだら楽しくなるよ!」みたいなキャッチコピーに目を奪われてずっとその日本酒を飲んでいたんだよ。ずっとだ。そう。まるで、時間が止まったみたいに。

 

いや、確かに飲んでいる間は時間が止まっていて、自分の居場所を変えることへの若干の後悔みたいなものがブレンドされ、浮遊感と共に気分の高揚や不安、動悸があったことは否めない。つまりは酔っていたんだ。酒に酔わされセンチメンタルを呼び覚ました。

 

クセのないマイルドなその味は可もなく不可もなくといった感じで、本当に水のようだ。水だ、アルコール臭い水。この水はアルコール臭いな、そう思いながら飲んでいたし、たぶんあれは水だ。気が付けば2リットルくらいを飲んでいたらしく(横の人が数えていたらしい)、それから梅酒ロックを口直しに飲んだ。梅酒は口直しに飲むものではないけれど、あの時に飲んだ梅酒の味は今でも忘れられない。いやこれも嘘。記憶はないんだな、これが。

 

まだ酔いつぶれていたわけではないので、みんなが2軒目に行こうと言い出した時に自分も喜んで参加して、そこからまたジョッキでガンガンビールを飲んでいたのだけど、気付いたら大雨のなか、家のベランダでゲロまみれになって地面に顔をこすりつけていた自分がいた。痛い、頭がものすごく痛い。なんだ、これは……。アアーッ!

 

時間は午前10時58分、その日の撮影は11時からだったけれど、それどころではない。まず現状を把握しなければ。とにかく「すみません、体調が悪いので少し遅れます」という連絡を、庭の草むらに捨ててあったスマホから入れて、そういえば着ていたジャケットやはいていたパンツがないことに気付く。下着もない。

 

スマホには110番した形跡があり、なにか税金のかかりそうなことをやっていたようだが、それどころではない。靴もなければ財布もない。おまけに物干竿はUの字に曲がっている。未だかつてUの字に曲がった竿を見たことがなかった。やったのは怒った近隣住民かぼく。たぶんぼく。しかしまったく何も覚えていな……と思ったところで記憶がフラッシュバックした。僕は部屋の中にそもそも入っておらず、ベランダから自宅の庭に侵入し(足をけがしていた)、鍵をなくしたと思って窓から入ろうと、無理矢理こじ開けていた一場面が浮かぶ。単純にキモい、この一連の行動。

 

たびたび、断片的にフラッシュバックする映像はラディカルで、『水曜日のダウンタウン』で泥酔した時のクロちゃんを見た時の「唖然」とはまた違う。実体験となると、もうそれは受け入れるしかないので、大雨の中、撮影を遅らせ、荷物もどこかにいった状況で、フラッシュバックにむしばまれていた。そう、ぼくはとてもゲロが吐きたくて、吐く場所がないから窓に向かって3回ほどゲロを吐きまくっていた模様である。窓の反射で見えた、ゲロを吐いた後の自分の姿。その目に秘める狂気。あれはまさに狂気の目。狂気の目でゲロを吐くぼく。驟雨が、雨の音が、とてもうるさかったーー。

 

まず鞄は隅の方に投げ捨ててあった。入っていたPCはなんとか無事で、今でもそれを使っている。雨にも強いMBA。服は隣人のベランダにあったので取ってくる。靴も同じくだ。あれ、財布……と思ってびしょびしょに濡れた身体でドアの前までいくと、紙幣がばらまかれていて、その先にヴィヴィアン・ウェストウッドの財布があった。2万くらい入っていたのに、落ち穂広いのように拾ったのは3千円。さ、3千円……。鍵は、ポケットのなかに、普通にあった。出社した後全員に怒られた。

 

社会人になって、年に一度、こうした粗相をやってしまうのだが、例えば二次会でいったイタリア料理のお店で赤ワインをデキャンタで飲み続けてそのまま記憶をなくして、友だちの家で吐くとか、あるいは4軒くらい上司にはしごをされて、そのはしごに上手く足をかけることができずに泥酔して、ある晴れた日の朝、渋谷のゴミステーションで寝ていたところを発見された、とか。ゴミステーションは意外と寝やすい、とか。

 

背負っていたバックパックにはMBAが入っていたけどまたしても無事だった。今もまだ現役。その時も、全身がゲロまみれであったのは、ここまで読んでくれた読者ならば言わずとも分かるだろう。あと服がびりびりに破れていたんですけど、もう色んなクセがあって自分のことがよく分からん。

 

もちろん、ここに登場したほとんどすべてのお店で、ぼくは出禁になっている。もう、思い出の店には入ることが出来ない、そう考えるとなぜだか涙が止まらなくなってきて、二度とゲロは吐かないと誓うのであった(今年はまだ吐いていないので、飲み会にお誘い頂く際は気をつけてください)。飲みの誘いはDMへ。

 

 

空ろな人間

盲目でないとすれば

この目にも、永遠の星や

花びらが幾重にも重なった薔薇が

見えるだろう

死にゆく黄昏の王国で

空っぽな人間の

残された希望として

 

こんなふうに、世界は終わる

こんなふうに、世界は終わる

世界の終りは、爆発音ではなく、すすり泣く声で。

竹原ピストル

2009年活動休止の野狐禅。ソングライターである竹原ピストルが作り上げた『初恋』は、そのタイトルが表象する「純真さ」ではなく、「不器用なさま」を泥臭く歌い上げる。歌詞の中では一貫して、「挫折」「奮起」という主題と(竹原ピストル自身が)向き合い、それを「初恋」になぞらえて扱う。ーー「強くならなくては」と拳を握りしめるたびに興奮するよ せつなくなるよ明日が待ちきれないよ 初恋みたいだーー、ーーこっそりと僕はもう逃げませんーー、というフレーズには、現在も年間200回以上のライブを行うピストルの、“身の丈に合った曲を”という哲学が凝縮されている。本当に泥臭いけれど、美しいのはなぜだろう。

「紙・Web論争」さっさと終わらせて、地道に働いた方がいいよ(たぶん)

正直、もう何十年皆様が仰っているのかは皆目見当がつかないのですが、編集者にしろライターにしろ、コンテンツを紙で出すかWebで出すか、じゃあどっちの方がレベルが高いかという議論、というよりもむしろ、やっかみや見下しとか懐古主義的優越論がいまだに続いているような気がします。

 

当方はかつてマスと呼ばれていたメディアのひとつ、「雑誌」という媒体から社会人生活を始めました。その頃確かにあった言説としては、Web? ああ、あれね(笑)というような諸先輩方の風潮です。この時点で意味がよく分からなかったのですが、なんとなくそうなんだなと聞き流していました。

 

社会人2ヶ月目には広告代理店がローンチしたWebメディアに、会社に黙ってジョイン(かっこいい)して、そこで外部編集者・ライターとして働いていましたし、また別のメディアでは編集者を外部委託でやっていました。社会人デビューをしてすぐ、当方はどちらの編集者にも、どちらのライターにもなりました。

 

学生時代から本もWebも読んでいたので、優劣はないと思っていました。紙の出版社を志望した理由は、Webよりも長く紙の本に親しんでいたというのと、ゆるやかに死んでいく業界だったので、そこでもう少し足掻けないか、という悪あがきのためでした。大変な中で活路を見つけ出す作業って、とても面白そうですよね。

 

その時点でですが(学生の認識的には)、Webメディアというものはおしゃれでカッコイイという風潮があり、僕を除く多くの同級生はIT・Webの会社でコンテンツを作りたいと言っていましたし、実際に彼彼女らはWebメディアの会社・運営会社に就職していく。この時点では、「まだ紙で消耗してるの? 」というまなざしが、紙の出版社志望に向けられていたわけです。

 

やはり社会にコミットして現場を見ると、学生時代に考えていたこと(紙が良い)は少しづつ変わります。会社として直接Webメディアの方々や、Webオンリーで書いているライターさんとご一緒することはありませんでしたが、結局辞めるまでの2年間はハフポが入ってきそう、もしかしたらバズフィードも上陸するんじゃない? といった世間話を楽しくしていました。

 

仕事が煮詰まった午前3時の編集部で広告記事を作っていた上司と当方は、「オモコロ」の思考法すごい、これは良い意味で紙ではできないけど、いずれ紙でも「オモコロ」のような見せ方ができれば良いねと話し、まさにインターネッツ、Webメディアには新しいアイデアがたくさん眠っていると、むしろ紙媒体の人にとってWebメディアは希望でした。

 

この時点でももちろん、Web軽視という考えすらありませんでしたし、雑誌と連動したWebサイトを持っていましたが、そこのPV/CCが伸びないです〜と泣きつかれて、載せるコンテンツを紙から流用したものではなく、Webに最適化させるようにしたり、SNSでは僕の入社前の3倍にフォロワーを増やしたりしました。

 

Facebookで自分のポストはアベレージで1000いいね、2万リーチくらいはしていた気がするので(うろ覚え)、こういうやりがいと、読者からの即レスは雑誌では絶対に楽しめません。インターネットの時代には雑誌は合わないものだと思い、その時から僕は雑誌に少し見切りをつけるようになりました。だって機能が同じで無料で読めるとかサイコーじゃないっすか、スピード感もあるし。

 

そんな気持ちは、外でやっていたWebメディアの編集でも感じていました。書けばすぐにお金がもらえるし(その雑誌社は外注ライターに翌翌々月支払いをしていましたから)、新しいメディアだから色々尖った展開をしていこう、既存の出版社にはできないような展開をと言われて、当方としてはWebメディアの時代になると思っていましたし、今もそう思ってします。もちろん、Web・紙をどちらもやっているので、どっちも頑張って欲しいというのが個人としての願いなのですが……。

 

そんななかでまだWebを軽視して、アガリが紙だとか言っている人がいるそうですね。ライターのアガリが編集者並に意味が分かりにくい言説です。価値観は人それぞれだから口を挟むつもりはありませんが、敢えて挟ませてもらうとすると、コンテンツを入れる容器の話をするには、まだあまりにもタイミングが早すぎますということ。

 

それと、過渡期から成熟期に向かう途中のWebと、成熟しきってしまった紙のメディアを比較して、二項対立的な図式に持っていく意味も分からない。

 

成熟し切った媒体だとこれから腐っていくだけなので、まだ支払えるお金はたくさんあるでしょう。大きな山を登っていて、ちょうど富士山でいう9合目くらいまで来ているWebメディアはこれからピークを迎えるでしょうから、紙が腐ったタイミングとWebがピークに達したタイミングでこれは入れ替わります。

 

おそらく、おそらくですよ。今現在Webを軽視しているフリー編集者やライターは、今現在のことしか見えてないから、原稿料、制作費はやっぱり紙の方が良いよなあと言うわけです。現在を謳歌していることは非常に良いことなのですが、いずれ変わっていく世界ですからね。この時代、大きなお金を売り上げている大手出版社〜準大手を除くと、他は割と大変なことになっています。知っていますか。

 

そしてWebはきちんと単価が上がっています。紙では1ページ1万円のところもあります(安いです)。紙にいけばアガリというのはどういうことなのでしょうか。皆が皆大手と仕事はできませんし、大手とできそうになったとしても、依頼が来るのはその下請け、というのも数多くあります。そんな状況にも関わらず、「あーやっとWebから紙に上がれたわ〜」という人たちは遅かれ早かれ消えていく気がします。ああ、さようなら。過渡期にあって、旧来的なものを信望するのはご勝手でしょうけど、たぶん未来はないと思うのが僕の考えで、そんなにズレていないかとは思います。

 

アガリとか都落ちとかいちいち言わなくても、自分がやりたいことをやれば良いと思うんですよ。誰かが、Webはまだ下だみたいな言説を作っていくから対立構造ができあがっていくわけでしょう。で、反対にいるWebライター・編集者は、それはムカつきますよ。逆に言えば、紙に載ったからアガリ、○○ライティングや聞き書きができて本になる! 新書を作ることができるようになるからアガリ、と言っている人と仕事をしたい人は減っていくでしょうね。

 

結局のところ、二つの媒体を優劣でみるのは頭があまり良くないことだと僕は思うわけです。仕事の優劣を言いたいんだったら結果を見せてもらって、それで言ってください。あと、紙を悪くいわれたからムカつく、Webを悪くいわれたからむかつく、と思っているそれぞれの編集者のみなさんは、こういう論争さっさと終わらせて、地道に働いた方がいいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意見交換会

数年前のこと。雨の新宿を濡れながら歩いていたら道を聞かれたので、良かれと思って相手も自分も濡れながら1時間くらい教えてあげていたら、なぜかその後で意見交換会をすることになった。最近はしていないが、たまにメシを食ったりする。

 

今日は新宿で外国の人に道を聞かれて目的地まで連れて行ってあげたら、一緒にメシを食うことになった。こんなことが、良いか悪いかは置いといて、よくある。この新宿という街の持つ混沌さは様々なもの、というか関係性を包摂する。そして私たちは新宿に沈殿して、また混ざり合う。

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嗚呼、向井太一くん

向井太一氏のアルバム『24』で特筆すべき点は2曲目の『STAY GOLD』にある。「共感」(ここでは言葉の再生産について指摘があるが、つまり言葉の軽さを示している)そのことについて、ややシニカルに書かれた向井のリリックは“流れていく時代の中で その言葉で その音で 何が伝わるの?”のフレーズから、重みのない言葉や音についての問題提起をする一方で、詩の最後にあるこのフレーズ、“この言葉で この声で そこまで届くまで”からは、葛藤しつつ、もがきながらも、ある決意をした向井の心情を見出すことができる。リリックとメロディとの見事な調和で完成したのは、甘さやクールさなど感じさせない、向井太一の秘める「熱」、あるいは「怒り」から成り立つ力強い楽曲。2017年以降のカルチャーシーンで、自分の立ち位置を確立してしまうことは自明、そしてそれだけに止まらない向井太一のおおいなる才能を、まざまざと見せつけられた。

 

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