Spare Times

暇な時に書きます

「そんなことも知らないの?」を大切にしたい

 

 

アカデミア(学問社会)に限らずだけど一般社会でも散見される、「そんなことも知らなかったの?」って言葉。これがたくさん欲しい。

 

無知だな、これはね…と教えて欲しいし、お叱りが欲しい。自分の知らないことを潰していく人生ゲームって最高に面白いじゃん。人生ゲームっていうかRPGか。敵とか倒す感覚。

 

社会的な事象や歴史、政治、あるいは宗教は前提条件となりうるものがある程度整理されているので多少は分かりやすいけど(意見は分かれますが、分かりやすさで言ってる)、さまざまにルーツが存在するカルチャーについては「そんなこと」が見出しにくく、ゆえに自分は多読家でもないし音楽も聴きまくってないし映画も観まくってないので無知なのだが、「お前無知だな」と言われると幸福度が上がる。Mではないはず。僕は「そんなことも知らないの?」の人を大切にしたい。

 

アスレティック・ビルバオというバスク地方フットボールチームがある。彼らは現代のポリティカル・コレクトネスやレイスにまつわる様々な議論が生じている中では異端で、バスク地方にルーツを持つ選手しか獲得しない。この時代になってもそれを貫き通している(それまでは「ルーツがある」でもNGだった。確か)。

 

なぜ、スペインでは「レアル」と名のつくチームとカタルーニャ地方のチームがエンタメとしてのスポーツを超えて対立するのか。ここの前提を知る必要とかはすごくある。デルビーの意味は単にスポーツチームとしてのライバル関係とは全く別のところにある。ゆえに、一時期国内で流行した、なんでもダービーにしてしまい観客動員をしようとした試みには憤りを感じる。

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/日本のダービーマッチ

 

伝統や歴史的背景がエンターテイメントの裏に存在すると知ること、さっきの例でいうとフットボールカルチャーの背景に「そんなことも知らないの?」という存在があることを知ること、それってとても大切だし多角的な見方ができる。野球でいうと「カラーライン」、背番号42のジャッキー・ロビンソンと、サチェル・ペイジとか。日本に来る海外の選手の多くが、なぜ「背番号42」を好んで着用するか知っていますか?

 

個人的には社会に出たあと、ファッションや音楽で、そういうことを言ってくれる先輩に恵まれた。「そんなことも知らないの?」については年をとればとるほど変なプライドが出てきて「知ってるそれ、分かる(知らない)」と言いがちかもしれないけど、阿呆で無知な自分でありたいと願う。

 

だから最近は「知らないです、何なんですかそれ。教えてください」マンになってるけどおそらくそれで良い。僕以外の誰もがプロフェッサーだしスペシャリストで、スタンスとしてこちらは常に学生で新人だから教えてください。

 

眠れないから試しにTinderをはじめてみたら

眠れないからためしにTinderを始めてみたら時期が時期だけにマッチしまくるという現象が起きて、これを月別に統計とってグラフにすると何かに役立つ気がする。そう、婚活とかね。それはおいといて、やはりSpotifyとの連携が気になるところ。多くのユーザーはやっていないんですよね。

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 Tinderでの外部アプリはInstagramSpotify、このふたつと連携できます。しかしセキュリティの面で考えるとインスタはプライベートな情報との結びつきが強いためになかなか手は出せないはずだけど、実際はちゃんといる(一定数、連携している人がいるけどマッチングアプリでプライバシー大丈夫かよと思ってしまう)。

 

音楽が出会いのツールというか、きっかけになるのは自明だと思うけどあまりSpotify連携してる人はいない印象(男性だといる?)。何がわかりやすいかって、例えば「趣味は音楽です」のとこで「あっ、自分もだ!」と思うけど「自分のアンセム」にDOKATAが表示されてたら趣味違うと思うはず。EXILEとか出てたら自分的には無理。

 

マッチングではないLINEのアンセムでは対して気にならないと思うけど、マッチングサービスでは誰が何を聞いているは肝ですよね。音楽の趣味が明確に違うと他のカルチャーについての趣味も割れる確率高し。映画やファッションブランド、本とかでは分からない部分。「好きなウェブメディア」だったら見えるかもしれない。オモコロ好きなんだ、バズフィード読んでるんだ、CINRAが好きなら感度たかそう。デイリー…ポータル…Z…とか。

 

そういう意味では、ダイレクトに相手の性格が分かってしまうTwitterと連携したらいいのに、と思いましたがいちいち過去のやつ見るのめんどいですよね。SNSだとインスタの方がインスタントだから「分かる」とはなる。ただやっぱりプライバシー考えるとアラサーのワイはインスタ連携見るとビビる。

 

ともかくTinderの特性上、寿司やファストフードやインスタントミュージックみたいなものが求められるのでそこまで考えてる人いないかもね。周りの友人(男性)は基本的にLikeをし続けてマッチングした後に趣味とかそういうのを見てメッセするか決めてるから、2段階認証プロセスだな。以上。

 

これからなくなっていく「雑誌」を憂う

相次いで色々な雑誌が休刊している。それでも資本やクリエイティブや実売が伴った雑誌はなくならないというのは分かるんだけど、今後選択肢が相次いでなくなっていくとすると、相対的な雑誌の価値はどうなっていくのだろうか。

 

インディペンデントは資本と切り離された1企画として、ウェブメディアが雑誌を作ることはストラテジーのひとつとして、となると「雑誌」として「雑誌」を続ける媒体は少なくなって、結局そこで紙/ウェブに分断されていきそうだし、そもそも論として雑誌は機能するんだろうかなど。

 

たとえば、あるカルチャー雑誌、ライフスタイル雑誌が生き残ったとして、なくなってしまった雑誌の読者は新規顧客として生き残った雑誌に行くのだろうか。

 

たとえば、AとBを比較しながら購入する際に、選択肢がそもそもなくなってしまうのだとすれば、残された雑誌がキュレーションする「価値」みたいなものを、読者は受動的に獲得するしかなくなるけれど、そうした同じ価値感の大量生産に意味ってあるのだろうか。

 

なので休刊しないであろう雑誌も、相対性の喪失に直面するし、何周もまわってやっとウェブを見るか雑誌を読むか論むたいなものが成り立つんじゃないかな。いっそのこと、版元ではなくデジタルメディアや一般企業が吸収してもいいと思うけどね。

みなさん、飲み会のお誘いをお待ちしています

先日、前職時代に仲の良かったカメラマンさんたちや今は別の会社で働いている元同僚たちと、おおよそ1年半ぶりくらいにお酒を飲んだ。カメラマンさんとは墨田区のジャズフェスで会っているから1年も経っていないのかな、街で突然出会って以来な気がするけど酔っぱらっていたのであまり覚えていない。

 

そんな感じで、先に着いた僕たち数人は、サラダとアボカドを食べていた。三軒茶屋にあるチキンジョージというお店は初めていったのだけど、すごく美味しい(焼き鳥も美味しい)。シティ・ボーイ雑誌の人から、シティ・ボーイ御用達のキッチン南海みたいなお店をすすめられて行ってそこも美味しかったんだけど店名が思い出せない。キッチン南海よりはマイルドだった。キッチンなんとかだったと思う。

https://tabelog.com/tokyo/A1317/A131706/13013769/

 

1年半前にお酒を飲んだ時は、会社を辞めるにあたってお世話になったクライアントさんに挨拶周りをして、なかにすごく可愛がってくれた人がいたので4時間ほど飲まず食わず(食わせろ)で拘束されて洗いざらい未来のヴィジョンなどをしゃべらされたのだが(めんどくさいから嘘をついた)、その後に少し遅れて行った送別会の居酒屋で、どっと疲れがでたのかビールを何杯かジョッキでガバガバと飲んで、枝豆を多少口に運びながら壁に貼っていた「これは美味しい日本酒だよ!飲んだら楽しくなるよ!」みたいなキャッチコピーに目を奪われてずっとその日本酒を飲んでいたんだよ。ずっとだ。そう。まるで、時間が止まったみたいに。

 

いや、確かに飲んでいる間は時間が止まっていて、自分の居場所を変えることへの若干の後悔みたいなものがブレンドされ、浮遊感と共に気分の高揚や不安、動悸があったことは否めない。つまりは酔っていたんだ。酒に酔わされセンチメンタルを呼び覚ました。

 

クセのないマイルドなその味は可もなく不可もなくといった感じで、本当に水のようだ。水だ、アルコール臭い水。この水はアルコール臭いな、そう思いながら飲んでいたし、たぶんあれは水だ。気が付けば2リットルくらいを飲んでいたらしく(横の人が数えていたらしい)、それから梅酒ロックを口直しに飲んだ。梅酒は口直しに飲むものではないけれど、あの時に飲んだ梅酒の味は今でも忘れられない。いやこれも嘘。記憶はないんだな、これが。

 

まだ酔いつぶれていたわけではないので、みんなが2軒目に行こうと言い出した時に自分も喜んで参加して、そこからまたジョッキでガンガンビールを飲んでいたのだけど、気付いたら大雨のなか、家のベランダでゲロまみれになって地面に顔をこすりつけていた自分がいた。痛い、頭がものすごく痛い。なんだ、これは……。アアーッ!

 

時間は午前10時58分、その日の撮影は11時からだったけれど、それどころではない。まず現状を把握しなければ。とにかく「すみません、体調が悪いので少し遅れます」という連絡を、庭の草むらに捨ててあったスマホから入れて、そういえば着ていたジャケットやはいていたパンツがないことに気付く。下着もない。

 

スマホには110番した形跡があり、なにか税金のかかりそうなことをやっていたようだが、それどころではない。靴もなければ財布もない。おまけに物干竿はUの字に曲がっている。未だかつてUの字に曲がった竿を見たことがなかった。やったのは怒った近隣住民かぼく。たぶんぼく。しかしまったく何も覚えていな……と思ったところで記憶がフラッシュバックした。僕は部屋の中にそもそも入っておらず、ベランダから自宅の庭に侵入し(足をけがしていた)、鍵をなくしたと思って窓から入ろうと、無理矢理こじ開けていた一場面が浮かぶ。単純にキモい、この一連の行動。

 

たびたび、断片的にフラッシュバックする映像はラディカルで、『水曜日のダウンタウン』で泥酔した時のクロちゃんを見た時の「唖然」とはまた違う。実体験となると、もうそれは受け入れるしかないので、大雨の中、撮影を遅らせ、荷物もどこかにいった状況で、フラッシュバックにむしばまれていた。そう、ぼくはとてもゲロが吐きたくて、吐く場所がないから窓に向かって3回ほどゲロを吐きまくっていた模様である。窓の反射で見えた、ゲロを吐いた後の自分の姿。その目に秘める狂気。あれはまさに狂気の目。狂気の目でゲロを吐くぼく。驟雨が、雨の音が、とてもうるさかったーー。

 

まず鞄は隅の方に投げ捨ててあった。入っていたPCはなんとか無事で、今でもそれを使っている。雨にも強いMBA。服は隣人のベランダにあったので取ってくる。靴も同じくだ。あれ、財布……と思ってびしょびしょに濡れた身体でドアの前までいくと、紙幣がばらまかれていて、その先にヴィヴィアン・ウェストウッドの財布があった。2万くらい入っていたのに、落ち穂広いのように拾ったのは3千円。さ、3千円……。鍵は、ポケットのなかに、普通にあった。出社した後全員に怒られた。

 

社会人になって、年に一度、こうした粗相をやってしまうのだが、例えば二次会でいったイタリア料理のお店で赤ワインをデキャンタで飲み続けてそのまま記憶をなくして、友だちの家で吐くとか、あるいは4軒くらい上司にはしごをされて、そのはしごに上手く足をかけることができずに泥酔して、ある晴れた日の朝、渋谷のゴミステーションで寝ていたところを発見された、とか。ゴミステーションは意外と寝やすい、とか。

 

背負っていたバックパックにはMBAが入っていたけどまたしても無事だった。今もまだ現役。その時も、全身がゲロまみれであったのは、ここまで読んでくれた読者ならば言わずとも分かるだろう。あと服がびりびりに破れていたんですけど、もう色んなクセがあって自分のことがよく分からん。

 

もちろん、ここに登場したほとんどすべてのお店で、ぼくは出禁になっている。もう、思い出の店には入ることが出来ない、そう考えるとなぜだか涙が止まらなくなってきて、二度とゲロは吐かないと誓うのであった(今年はまだ吐いていないので、飲み会にお誘い頂く際は気をつけてください)。飲みの誘いはDMへ。

 

 

芸術家になりたかった人の日記

www.ishikawayulio.net

雨音がうるさくて眠れないからはてなブログを漁っていると、上の記事に出会った。僕は大学に6年間通って親を嘆き悲しませたという黒歴史を持っていて(その時の話を『クイック・ジャパン』vol.131のコラムで書いた)、誰かに話すときは「自分は怠惰な大学生で」と茶を濁すことが多い。

 

卒業した近畿地方の大学に入学したのは20歳の時。4年通った後にモラトリアムから逃れられずに1年残り、関東にある、国の研究機関に出入りして、研究のまねごとをしてから卒業して編集者になった。先日友人の結婚式でゼミの指導教官に久しぶりに会ったのだけど、卒業していないと思われていた。

 

ソーシャルメディアだとか炎上だとかの研究をしていたため、その時の癖が今でも抜けきれずに連日連日SNSに入り浸ってはどこかの誰かの会話や記事を眺めている。あの頃のように、論文を読んだりデータを分析する力はもうないので、恨みつらみを書いているだけ。先日裏アカウントで人の悪口を書いたら炎上して晒されたので少しつらい。

 

という前置きをした上で記事の話に戻りたいんだけど、僕は芸術の世界で生きていきたいという思いが中学生くらいから芽生えたため、高校に入ってすぐに芸大や美大オープンキャンパスによく通っていた。うちの高校には芸術コースなるものがなかったので、国立大学進学コース(文系)にいたんだけど、みんなが「国立!公立!」と息を荒くしていたその横で、アダルトサイトをよく見ていた。あと流行っていた前略プロフィールやモバゲーや同級生の女の子のホムペを見ていた。

 

受験の時期になると希望する進路別に教室に集合させられて先生から話を聞く。僕は迷わず「芸術・その他」のような雑多な区分けの教室に向かうことにした。ドアを開けるとほとんどが「その他」に行くような人たちばかりで、「芸術」はたぶん3人くらいしかいない。「芸術」はそのようなものなのかと地方の公立高校の、小さな教室の中で悟る。

 

僕は芸術家になりたかったけど、周りにそのような人はほぼいなかったので担任の国語教師に相談にいったら、芸術大学美術大学は学費が高いと教えられて、ほとんど就職できないと言われて、最後に、それでもとても価値のある場所だと言われた。先生は演劇部の顧問だった。

 

推薦入試なるものの存在を教えられたので、内申と実技が受験項目にあったから過去問が載っている冊子を取り寄せて勉強を始めたけど、全然参考にならないので絶対に予備校に行った方がいい。推薦入試は福岡で受けた。とんこつラーメンが美味しかった。しばらくしたら合格通知が届いたので、親を説得して、芸術家になるスタートラインに立てることになった。

 

Yahoo!知恵袋でその大学のことを検索してみると、以下のような文言がならぶ。

 

・関西では変わり者大学と呼ばれている。
・学費は他の芸術系大学と比較すれば安い方
・芸術系大学では上位校。
・とんでもない田舎にある。
・男子学生約3000人女子学生約4000人合計約7000人。日本最大の芸術系大学。
・有名人を多数輩出。
・夏休みが短い。
・歴史があるため就職は他よりは良い。
・良家のお坊ちゃま、お嬢様が多い
・かっこいい男子、かわいい女子が多い。
・国立大学とよく間違えられる。
・教授陣に有名人が多数。
毎日新聞社毎日放送系列。
・大学設立時に塩じいが多大な尽力を貸した
・理事長と教職員がよくケンカになる
・勘違いしている学生が多い
・アニメ、フィギィア好きのオタク多い
・課題、実習が多くバイトが出来ない
・自殺者が多い
・落書きノラ犬多数

 

「自殺者が多い」……。在学中には誰も自殺していないようだったので、ひとまずこれは嘘だと信じたいけど、合っていることも違うこともいくつかあって、「とんでもない田舎にある」がめちゃくちゃ当たっていた。入学してサークルにも入って授業を受けているうちに周りとの温度差に気付き、芸術家になることをその年の秋くらいには諦めて、冬に大学を受験して普通の大学に入ったところで芸術家になりたかった人間の、芸術家を目指す人生は閉幕した。

 

今は芸術家をやっている人たちと一緒に仕事をする機会を得たので、時々あの頃の気持ちを思い出しては、もう戻れないんだとか、別の大学だったらどうだったかとかを、たまに考える。

 

当時の同級生の多くは就職をしていないし、就職をしたとしても予備校の講師として、芸術でないものを教えてたり、ライターをやったり、メーカーに勤務している。中退してどこへいったか分からない人が結構いると風の噂で聞いた。たぶん僕もその中の1人だ。

 

奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』の原作を改めて読み返しながら、そんなことを考えている。この話に落ちはないんだけど、あのレールから落ちることを選んでよかった。ダラダラと通い続けなくてよかった。好きでもないものを作らなくてよかった。芸術を嫌いにならなくてよかった。僕は芸術家になれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空ろな人間

盲目でないとすれば

この目にも、永遠の星や

花びらが幾重にも重なった薔薇が

見えるだろう

死にゆく黄昏の王国で

空っぽな人間の

残された希望として

 

こんなふうに、世界は終わる

こんなふうに、世界は終わる

世界の終りは、爆発音ではなく、すすり泣く声で。

竹原ピストル

2009年活動休止の野狐禅。ソングライターである竹原ピストルが作り上げた『初恋』は、そのタイトルが表象する「純真さ」ではなく、「不器用なさま」を泥臭く歌い上げる。歌詞の中では一貫して、「挫折」「奮起」という主題と(竹原ピストル自身が)向き合い、それを「初恋」になぞらえて扱う。ーー「強くならなくては」と拳を握りしめるたびに興奮するよ せつなくなるよ明日が待ちきれないよ 初恋みたいだーー、ーーこっそりと僕はもう逃げませんーー、というフレーズには、現在も年間200回以上のライブを行うピストルの、“身の丈に合った曲を”という哲学が凝縮されている。本当に泥臭いけれど、美しいのはなぜだろう。